霧島松永用水路と災害防御用石橋アーチ

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上の写真は、下が灌漑用水路で,橋の上に小川を流すための石橋アーチおです。左下に流れて、すぐに2段式で水を落とす仕組みになっています。

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上の写真は石橋アーチの上の小川から流れてきた水が2段式の段差をとおってきた水量の小川です。

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 上の写真は上の石橋アーチに流れる小川です。もともとは、灌漑用水路に流れ込んでいましたが、大雨で灌漑用水が決壊したために、小川と灌漑用水を分けたのです。

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上の写真は、下を流れる灌漑用水

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 100メートルほど下ったところの灌漑用水ですが、ここでも水をわけて、一方は、階段状のところに流し込む工夫をしています。灌漑用水本流の水力を弱めるために、直角に水をあてたり、段差をつくっていっきに分流を流したりして様々な工夫をしているのです。


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 霧島山麓は、巨大な水瓶になっている地形からあちこちにわき水が出ています。霧島は雨が多い気象条件を持っています.。大雨が降ったときは、水害の危険が高い地域です。このために昔から特別に水害対策が行われてきました。山の森林を大切にして、山のなかに遊水池をつくりました。また、山の谷間に水田をつくったことが、水害予防にもなったのです。今でも谷間のわき水のすぐ近くに水田をつくった話を古老から聞きます。霧島川の支流になる狩川の源流は、鍋窪の集落の山地からです。山間地の鍋窪の集落が谷間で水田を今でもつくっています。

 霧島川は、常に豊かな水量を保っていたのです。しかし、近年は、開発が進み、大雨のときは河川の水量が極端に多くなり、水害がたびたび起きます。土砂崩れもあるのです。 

 先人の知恵は、灌漑用水路をつくるのにも、その用水路を守るために、用水路に流れこむ小川の水をわざわざ小川のための橋をつくり、上にとおしたのです。まさに、灌漑水路の上に橋をかけたのです。水が交わることをせず、橋の上をとって違うところに小川の水を流したのです。そして、霧島川の本流に流し込んだのです。

 霧島市の松永地区に灌漑用水を守るために、災害防御用の石橋アーチがかかっています。その河川水を落とす段差工事がされています。この石橋アーチのスパンは3.5メートルで、橋の長さは13.3メートルです。
 1777年の改造の碑銘があります。水神碑には、1761年の刻印があります。近世時代の貴重な災害防御用の石橋アーチです。水を分散させて水害から灌漑用水路を守ろうとしたのです。


 霧島山麓は、巨大な水瓶になっている地形からあちこちにわき水が出ています。霧島は雨が多い気象条件を持っていますが、大雨が降ったときは、水害の危険が高い地域です。このために昔から特別に水害対策が行われてきました。山の森林を大切にして、山のなかに遊水池をつくりました。また、山の谷間に水田をつくってきたのです。

  霧島市の松永地区に灌漑用水を守るために、災害防御用の石橋アーチがかかっているのです。そして、その河川水を落とす段差工事がされているのです。この石橋アーチのスパンは3.5メートルで、橋の長さは13.3メートルです。1777年の改造の碑銘があります。水神碑には、1761年の刻印があります。近世時代の貴重な災害防御用の石橋アーチです。水を分散させて水害から灌漑用水路を守ろうとしたのです。

 松永の水神 1809年の刻印

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日当山をとおる松永用水

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 姫城の水神・石踊水神講

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新町の松永用水の土手にあった馬頭観音

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 こがの杜 松永用水の手籠川の近くです。平安時代の後期に平家打倒の陰謀に加わったということで、僧俊寬は、平ら清盛によって、鬼界島に流されますが、この地から船で渡ったとされます。

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