屋久島一湊小の黒潮留学と地域の歴史文化・自然力

 
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 屋久島の一湊小学校では都会からの親子留学を2018年4月からはじめ、3世帯が移住してきています。在籍児童数は28人の小規模校です。小学校の校区住民で黒潮留学の実行委員会をつくっています。地域の人々による活性化事業として、親子留学をはじめたのです。


 学校教育活動は地域住民と連携しての特徴ある活動をしています。ウミガメ生態学習、漁師から学ぶ、高齢者のボランティアによる放課後児童クラブ活動、PTA活動による教師と地域のふれあい活動などがされています。地域の黒潮留学実行委員会は、学校教育との連携活動を随時に「黒潮留学屋久島」ブログにアップして、詳しく紹介しています。 一湊小学校の創立は明治11年4月です。平成30年に140年の歴史になるのです。昭和48年4月に吉田、志戸子、一湊の3校が統合されました。
 一奏の校区の住民は、学童保育を地域で実行委員会をつくって実施しています。38歳の女性から、高齢者を中心にボランティアによる輪番制で放課後に学童保育の取り組をしています。最も年齢の高い人は83歳の男性です。実行委員長も77歳です。子供たちを見守ることで、高齢者も自分の地域貢献の役割がもてるということで、元気で生きがいををもって活動しています。学校敷地内の学童ハウスで、3時から6時までが見守り活動です。子どもは、宿題の勉強したり、自由に校庭内で遊んだりしてます。ボランティアスタッフは、その見守りをしているのです。
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 小学校のある地域は、一湊で戸数400ですが、人口が600名ということで一人世帯も増えています。校区は、西に4キロの吉田地区、東に志戸子地区と3つの集落から校区は成り立っています。それぞれ人口減少と高齢化が進んでいます。一湊地区は、西郷隆盛が沖永良部に流刑されるときに8日間滞在したところです。昔は屋久島の重要な港であったのです。隣の吉田地区は、NHK朝ドラの「マンテン」のモデルになったところです。一湊小の校区は、屋久島の雄大な山の裾野に海岸線があり、自然の豊かな人情豊かな地域でもあります。

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 矢筈(やはず)神社はウミガメがやってくる二つ浜から小さな半島で矢筈岳のあるところにあります。大漁祈願と航海安全の神社です。
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神社からみた湾岸の風景です。
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西郷隆盛が8日間屋久島に滞在してときに上陸したところです。
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一湊の集落の様子です。
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一湊の港です。
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浜エビスさまと町エビスさまがおり、2月と6月に地区あげての盛大な行事が行われいています。浜と集落の中心街と2ヶ所にえびすさまがいるのはなぜでしょうか。

浜のエビスさま
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町のエビスさま
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 一湊地区は昔から、港があり、漁業と屋久島の玄関として、発展してきました。「首折れサバ」の発祥の地で、環境省の「香り百選」に選ばれた「さばぶし工場」もあります。縄文時代の土器が発見がされた「一湊松山遺跡」があり、弥生時代以前に人が住んでいたことがわかります。

 この地域には、,屋久島の自然生態系を大切にした暮らしから、地球・世界をみつめ、アニミズム信仰の世界、人類の夢を探究した詩人・小説家・思想家の山尾三省が小学校裏山の白川山集落に住んでいたところです。また、屋久島産業文化研究所の編集長を勤め、生命の島として発信して、世界自然遺産の運動に貢献した人々が住んでいた地域でもあります。山を守ることは、川を流れて多様な微生物が海に流れ、プランクトンが繁殖し豊かな海になるということで、魚がよってくるというのです。

苔むす森
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 屋久島では島回りと、島いとこの慣行があります。子どものときから島全体をまわり、屋久島を体験的によく知ることと、島の人々が横につながり、叉、他の世界との人々と親類になっていくという風習があるのです。島の集落同志が対立していくのではなく、島全体として絆を強くもっていくということです。
 さらに、宮浦岳を奥山をはじめ、それぞれの集落に恩恵を与えてくれる山々に、各集落が岳参りする行事が青年に課せられていたのです。共有の山は屋久島に住む人々の宝であり、生活を代々と支えてきたことに感謝の祈りをするのです。それが、明治の近代化と称する土地所有権確定の地租改正によって、官有地に殆どが編成されていくのです。

 明治22年には、各大字の共有薪炭林までも官有林に編入され、屋久島で山稼ぎをの人々は、どん底に突き落とされていくのです。まさに、死活問題として、明治37年から大正9年まで、長く国に対して行政訴訟を起こすのです。結果として、裁判は負けますが、大正10年屋久島憲法といわれうように地域特別法令が出され、特別作業区の7000町歩が設定され、住民の生活や生業の薪炭、住民への森林委託が可能になったのです。



7本杉ということで、大きく広がっていく生命力を感じさせる
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女神杉
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二代杉
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くぐり杉
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白谷雲水峡の太鼓岩からみた宮浦岳遠望
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太鼓岩からみた近隣の山風景
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 追録
 2018年11月11日の南日本新聞で「わがまちナビ」の記事で「一奏小学校校区」が紹介されました。140周年の伝統のもつ学校で住民有志が学童保育を実施し、学校を地域住民の身近にしていこうとするとりくみの記事です。一奏小学校の創立に尽力した3名は、西郷隆盛の下で私学校で学び、西南戦争に従軍して、屋久島に逃れてきた3名ということです。
 その3名は、迫田武助、外山尚太郎、蒲田正成ということで、それぞれ、校長を務めたということです。安房の久米開墾地なども含めて、屋久島の明治以降の学校の振興や開発などで、西南戦争に西郷軍に参加した人々が活躍していることは興味ある課題です。屋久島の各地域ごとに詳しく調べていく課題がありそうです。


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