肝付町の中世高山城跡と中世からの道隆寺跡

 上の写真は本丸跡です。 肝属家の山城は、50ヘクタールという広大の面積を有する中世の巨大な天然の地形に囲まれた城です。また、反対側の丘には、中国宋時代の名僧が開山した道隆寺があったのです。肝付町高山は、中世時代に、高い文化と力と冨をもった肝付家の居城として栄えたのです。この山城は国の重要文化財に指定されています。  山城の東方は…
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肝付町高山の古代史

肝属川河口は、沖積平野で東串良と肝属町・高山地区で、東西30キロ、南方20キロの領域に広がる肝属平野を形つくっています。ここは、弥生時代の遺跡や多くの古墳が存在しています。王子遺跡では現在発掘調査中ですが、大きな集落が形成されていたことが明らかになっています。早くから稲作が生産されていた地域です。大崎町の永吉・天神遺跡から弥生中期(約2…
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豊臣秀吉築城の玄海名護屋城ー幻の軍事巨大都市ー

  名護屋城は唐津市の松浦半島の先端にあります。名護屋城跡周辺には、各藩の陣屋跡もあり、武士だけで\も20万人があつまり、商人も含めて、30万近くの巨大な都市が形成されたといわれます。名護屋城跡には佐賀県立名古屋城博物館があり、その歴史や朝鮮半島の交流について詳しい展示がされています。 秀吉は、名護屋城を…
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壱岐の古墳と弥生時代の交易地環状集落跡

壱岐の古墳群は、壱岐島のヘソの部分にあたる中心地に数多く分布しています。この近くには、国分寺跡などもあったところで、古代から壱岐の行政の中心地の近くに古墳をつくったと思われます。古墳時代の後期にあたる6世紀後半から7世紀初頭につくられたものが200基で、全体で280基の古墳があります。古墳時代の前期と中期の墳墓は大きな前方後円墳はみつか…
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壱岐の古代からの神社と海洋文化

 壱岐の住吉神社は、明治4年に国幣中神社に指定された官社であったのです。古代より湧き水が出る神聖な場です。壱岐の島民にとって生きていくうえで、水は極めて重要であったことを見落としてはなりません。境内にある神池からは、17面神鏡が明治4年の干魃の水がかれたときに発見されています。平安時代から室町時代にかけて製作されたものであったので、古く…
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