肝付町高山の古代史

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肝属川河口は、沖積平野で東串良と肝属町・高山地区で、東西30キロ、南方20キロの領域に広がる肝属平野を形つくっています。ここは、弥生時代の遺跡や多くの古墳が存在しています。王子遺跡では現在発掘調査中ですが、大きな集落が形成されていたことが明らかになっています。早くから稲作が生産されていた地域です。大崎町の永吉・天神遺跡から弥生中期(約2100年前)の円形周溝墓が20基が発掘されました。串良町細山田2000年前の弥生時代の竪穴住居31基が発見されました。古墳は、塚崎古墳群、唐人古墳群等の3世紀後半の古墳前期の遺跡から存在しています。そして、飛鳥時代には、大和朝廷の直轄領の肝属屯倉(みやけ)がありました。

 塚崎古墳群は、前方後円墳5基、円墳39基、地下式横穴墓10余基が確認されています。また、この古墳群の中には、弥生時代の住居跡の花牟礼遺跡が確認されています。前方後円墳の最長のものは、39号80メートルあります。円墳の、42号は直径65メートルあります。墳墓の中にある玄室は、家形、舟形、箱形、不正形と多様です。また、鏡、須恵器、装身具、土師器などが出土されています。


 
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 この棟持柱の遺構として、最も古く、穀物貯蔵用の高床式か、または、南洋諸島にみられる住居や集会所か。どちからの説を考えますか。

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塚崎古墳
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塚崎1号古墳の上にそびえる大楠 樹齢1300年


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「志布志湾の古墳と大隅古代国家」のについてのブログは下記のアドレスですでに書いています。

 https://kandayoshinobu.at.webry.info/201706/article_4.html



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