佐賀市学びの歴史文化

 上記の写真は、1781年に設立された人材養成のための藩校弘道館の跡地の記念碑です。 弘道館と鍋島直正  鍋島直正は、1830年に藩主になりましたが、弘道館の充実を充実させる施策を行いました。優秀な人材を養成して、積極的に藩政改革の登用をしたのです。直正は、洋学の影響を受け、科学技術を発展させたのです。反射炉、鉄製鋳造(ちゅうぞう)…
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ベトナムニンビンの原生林

 ベトナムの人びとは、クックフォン国立公園を千年の森として親しみをもっています。CUC PHUONGはニンビン省にありますが、ホアビン省とタインホア省に挟まれた広大な自然環境を持っている山岳地域です。総面積2200ヘクタールの自然国立公園です。  国立公園にはエコツアーや環境教育センターがあり、ベトナム北部の自然生態系を学ぶた…
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霧島松永用水路と災害防御用石橋アーチ

上の写真は、下が灌漑用水路で,橋の上に小川を流すための石橋アーチおです。左下に流れて、すぐに2段式で水を落とす仕組みになっています。 上の写真は石橋アーチの上の小川から流れてきた水が2段式の段差をとおってきた水量の小川です。  上の写真は上の石橋アーチに流れる小川です。もともとは、灌漑用水路に流れ込ん…
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和歌の歌枕地と大隅国府跡・国分府中町

 ここでうたわれた和歌の内容の一部 天神台の小公園にある解説掲示板です。  元号が平成から令和にかわりましたが、令和は、万葉集の梅歌からとったといわれます。日本古典の和歌を考えていくうえで、大隅の国からもみていく遺跡として、気色(けしき」の杜の歌枕の地を紹介します。    国分の府中町は、大隅国府のあったところといわれ…
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霧島の山間水田と隠れ念仏の里ー神宮駅からのハイキングー

 霧島神宮駅から高千穂牧場やダイワハウスの別荘地・ホテルに、時間のあり、少し体力のある人は歩いて、山間地の水田、霧島古道を歩いて楽しむのもひとつのコースです。また、霧島神宮駅から山間水田や隠れ念仏の里を歩くのももうひとつのコースです。  ここは水の循環としての森林、保安林野をもつ水源地、湧き水、小川、河川、用水路や上水路などがみら…
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霧島市国分の唐人町と舞鶴城

 島津義久は、1570年に薩摩を統一し、1576年に三州を統一しました。薩摩統一の二年後にアジアとの交易の支配権を確立していくうえで、琉球との交易をする商人に薩摩藩の正印を持たないものに船や財貨を没収するという書状を琉球王朝に送っているのです。琉球貿易の独占の態度をもっていたのです。また、九州王国の達成のために、大分の大友宗麟を1578…
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国分中央高校裏の龍昌寺跡地の多様性文化

 龍昌寺跡地の墓地に津曲家先祖累代の墓がありますが、そこには、珍しい亀鈬墓と二体の龍柱を刻印した墓が建っています。亀の長さは80センチと大きなものです。そのうえに墓碑建立がされています。墓碑を亀が背負っているようになっています。儒教的的な墓の内容になっています。また、獅子座の珍しい墓もあります。さらに、戦前から戦後初期に農民解放運動に活…
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霧島古道と猿田彦の巡行

 霧島神宮の行事として、猿田彦命巡行祭りが行われています。メンドンマワリといわれ、春と秋に各二回行われています。霧島神宮の境内をお祓いするという行事で、東巡り7ヶ所と西巡り8ヶ所を廻っていくのです。東巡りの一部は荒襲街道・小林街道とも重なっています。この街道は、古代から重要な交通網で、南北朝時代の南九州の戦乱、戦国時代の伊藤家と島津家と…
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臼杵の磨崖仏

臼杵の石仏群は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られた磨崖仏です。この磨崖仏は平成7年に国宝に指定されている貴重な文化財です。石仏の各尊は、人生のスタートから老年時代を表すと同時に、仏教の教えの自力本願への修行に至る過程を示しています。  ホキ石仏第一群は、入り口から二番目の石仏です。ここには、如来三尊像が配置されています。 …
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大分の亀塚古墳と海洋文化

大分市内の大在公共ふ頭近くで国道197号から少し丘に入ったところに亀塚古墳があります。大分県内で最大の古墳で、全長116メートルあります。5世紀のはじめごろつくられ、後円部は、三段階で長さ64メートルで高さが10メートルあります。頂上部は、竪穴式で二つの石棺がおさめられていました。二つの石棺は、同じ時期ではなく、主の石棺が5世紀前半で、…
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九重大吊り橋と白鳥神社

 九重大吊り橋は、高さ173メートルで日本一高く、長さは390m-トルと渓谷にかかった巨大な吊り橋です。歩行者専用で、しっかりとした金属製のロープでつながれているのでゆれることはなく、下を見なければ軽快にわたれます。しかし、渓谷での吊り橋で下をみるとすいこまれるような高さで怖く感じます。 吊り橋からみた滝です。 …
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霧島市国分中央高校の歴史・創設期青藍義塾・精華学校

 国分中央高校は明治39年に窪田二郎によって設立された精華学校によってはじまるとしています。精華学校は牧元喜右衛門の私塾青藍義塾の旧舎を借用して2年制男女共学の各種学校として生徒数68名として発足しました。翌年は生徒数100名になったということです。  青藍義塾は明治22年に授業を開始したもので精藍は中国のことばからとったもので「青は…
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沖縄三国時代の城(グスク)の面影と交易

   沖縄の城(ぐすく)は村を守る神として拝む場所としての信仰的な意味をもっているのが多いのです。グスクは御嶽(うたぎ)と結びついているのです。三国時代の北山王が拠点とした城です。1368年に明が成立して、海禁政策を実行することによって、沖縄の三国は、正規の朝貢貿易の体制を確立しようとしのぎをけずっと争います。沖縄本島では、11世紀か…
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琉球王国の信仰文化と世界遺産

琉球王国の聖地・斎場(せーふぁ)御嶽(うたぎ)です。近世以降の琉球王国によるノロ信仰による地域支配関係が強くあったとみられます。伝統的にあった集落のユタとは区別されるものです。琉球王国の尚真時代にアニミズム文化のエタを地域支配の手段にしたものです。ノロは琉球王国の神々と交流するとして、派遣されるのです。琉球王国の強固な精神的支配力として…
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熊本の横井小楠記念館ー現代的学びの価値・大義を世界へー

横井小楠は、明治維新のとき、東洋の精神を大切にし、大義を世界に求めた思想家です。現代的にも為政者、政治家のあり方として、学ぶことがたくさんある重要な問題提起をしています。まさに、横井小楠は熊本が生んだ偉大な思想家です。  その思索の多くは、熊本城下から離れた寒村の沼山津からの発信でした。熊本市の中心街からは、市電の終点の健軍駅から歩い…
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屋久島の自然信仰と山々ー持続可能な循環社会を考えるー

  益救(やく)神社は屋久島の各集落にあったそうですが、現在は宮之浦地区の総社だけが残ったといわれます。この神社の行事には、今でも各集落の代表が集まるようになっているのです。かつては、権現神社として、宮之浦岳を奥山として、信仰の対象であったのです。益救神社は、延喜式神明帳に記載されている格式のある伝統的な山岳信仰の権現神社です。屋久島…
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屋久島一湊小の黒潮留学と地域の歴史文化・自然力

  屋久島の一湊小学校では都会からの親子留学を2018年4月からはじめ、3世帯が移住してきています。在籍児童数は28人の小規模校です。小学校の校区住民で黒潮留学の実行委員会をつくっています。地域の人々による活性化事業として、親子留学をはじめたのです。  学校教育活動は地域住民と連携しての特徴ある活…
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肝付町内之浦の交易と文化の歴史

 内之浦は、中国の明からの日本へ移住して来た人々の寄港地でったことが知られています。北郷家が内之浦を飛び地にしていたときには、明からの学者や商人を積極的に受け入れて、北郷家の城の近くに住まわせたといわれます。北郷家が国際貿易を考えていたことが内之浦の飛び地を重視したのです。肝付氏の没落後は、北郷氏の飛び地となるのです。関ヶ原の戦い後に内…
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肝付町の中世高山城跡と中世からの道隆寺跡

 上の写真は本丸跡です。 肝属家の山城は、50ヘクタールという広大の面積を有する中世の巨大な天然の地形に囲まれた城です。また、反対側の丘には、中国宋時代の名僧が開山した道隆寺があったのです。肝付町高山は、中世時代に、高い文化と力と冨をもった肝付家の居城として栄えたのです。この山城は国の重要文化財に指定されています。  山城の東方は…
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肝付町高山の古代史

肝属川河口は、沖積平野で東串良と肝属町・高山地区で、東西30キロ、南方20キロの領域に広がる肝属平野を形つくっています。ここは、弥生時代の遺跡や多くの古墳が存在しています。王子遺跡では現在発掘調査中ですが、大きな集落が形成されていたことが明らかになっています。早くから稲作が生産されていた地域です。大崎町の永吉・天神遺跡から弥生中期(約2…
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